ドアを開けるとカレーとの出会いが・・・


 千代田区外神田 :「雷伝ーん」
 п~×××××


おいしかった・・・★★★ 
ボリュームで十分★ 
居心地いいような気がした★★★ 
サービスには満足★★★
俺、頑張ったよね★★★★★★★★★★★★
備考いい大人なのに


 理由は分からなかった。
 カレーが食いたい、無性にカレーが食いたい。
 そして俺はその店と出会ってしまった。いや、見えない糸によって呼ばれたのだろう。


 千代田区外神田にあるカレー店「雷伝ーん」に。



 いつものように、売れることなどないミシンのパンフレットをカバンに詰め営業の外回りをしていた。
 今日は神田の辺りを回って来たのだが、相変わらず手ごたえはない。
 そんな日は早々と昼食にするに限る。

 そうだ、カレーがいい。カレーしかない。カレーが午後からの活力だ。

 しかしながら神田地区を営業で回るのは今日が初めてなので何処にカレー屋があるか検討が付かない。
 俺は事前に美味いカレー屋などを下調べするような卑劣な真似などはしない。
 出会いはインスピレーションだ。この目で、この鼻でビビビと来たカレー屋を己で選択したい。数々の後悔の夜はあれど、俺は自分の勘を信用している。


 と思っていたところ、昼時のせいか寿司屋らしき店の前で板前が客引きで声を張り上げているのが見えた。気分はすっかりカレー色で染められているわけで寿司屋に入る気もないのだが、可哀相なくらい誰も足を止めない。ただでさえ、ここら界隈は寿司屋が多い地区だろう。寿司屋の競争は激戦に違いない。
 ここらのサラリーマンが昼から回転していない寿司屋に入るとは思えないし、歩いて回って見た限りでは昼飯を食べれる店は多々見受けられた。どこでも昼飯に金を落とさせるのに齷齪しているだろう。寿司屋の向こうの店舗の前にも客引きのウエイターがチラシを配っているのが見える。
 喫茶店などは、店舗の前に廃棄可能なプラスチックの容器に入った弁当をたくさん並べ、それに結構な数のサラリーマンが群がっていたりする。
 カレー弁当などないだろうなあ、それに店には悪いがここらの喫茶店が俺を唸らせるようなカレーを出すとは思えない。どうせ業務用のカレーが出てくるのが落ちだろう。



 ところがである、さきほどの寿司屋の前を通り過ぎようとしたとき、俺は聞いたことの無いメニューを聞くことになる。





 「お昼に寿司カレーいかがっすかー?」




 まだ10代のようなニキビ面の若い板前が張り上げた客引きのセリフの中に、「寿司カレー」という聞き捨てなら無いカレーの音を聞いた。ヒアリングしたのだ。


 思わず俺は板前の方を向き「えっ!?」と声を出してしまった。


 そんな俺の反応に少し驚いたように、若い板前は小さな声で繰り返した。「寿司カレーです」。


 俺の聞き間違えではなく、確かに彼はそういったようだ。

 俺は問う「カレーですか?」
 板前曰く「ここですよ。」

 何秒立ち尽くしてただろう、自分のありったけの経験から「寿司カレー」なるものの図を頭の中で浮かべようとしたが全然浮かんで来ない。そんなデータが全くあるわけがない。

 酢飯にカレーか?
 はたまたドライカレーの類か?

 俺の反応は「そのカレーを食す」という啓示に捕らわれたらしく、板前は「どうぞどうぞ」と俺の腕を引っ張り引き戸の向こうの寿司屋の店内に導いていった。

 導かれるまま、のれんをくぐるとき初めてこの店の名前が「雷伝ーん」という寿司屋であることを知った。











 「へい、っらっしゃい」
 真昼の太陽のような活気のあふれる声が単発で降りかかった。
 つけ場こといた場に大将と思われる子太りの初老の男がいるだけで、カウンターにもテーブル席にも客は人っ子一人居なかった。
 「親方、お客さんです!」

 先ほどの若い板前が、俺をカウンター席に誘導しながらそう言った。

 「親方、お客さんです!」

 えっ?声が震えている。

 思わず板前の方を見ると少し涙ぐんでいる。自分が成し遂げた功労に酔っているようにも見える。

 「バカヤローぅ、何度も言うんじゃない!!」

 親方の喝が飛ぶが、その親方も笑顔が隠せない様子だ。
 俺って、久しぶりの客なのか?大丈夫なのか?あれよあれよと、板前に引っ張られるまま店内に入って、カウンターに座ってしまったが・・・・・。

 奥に走って、板前がおしぼりを持って来た。

 親方が「お飲み物何にします?」と満面の笑みで問いかけてきた。
 間を入れず「冷えたビールありますよ、お客さん!!」と若い板前。

 「いえ、仕事中なんで、ビールはちょっと・・・。」

 「じゃあ、バヤリースですね」・・・なかば決定事項のように「ですね」を板前が放った。

 「ばかやろうぅ〜、子どもじゃないんだからよぅ!!」激が飛ぶが笑顔の親方。

 お前ら、なんでそんなにウキウキしてるんだ。俺一人を間に置いてステレオで話しかけるのは止めてくれ、こちらは何も楽しくない。まるでカップルの間に挟まれたような疎外感がある。いちゃつくのは止めてくれないか?
 なんてことは口にはしなかった。


 「おい、早くあがり持って来い!」
 「あっはい!」
 「すいませんねぇ〜、まだ奴見習いでして、へへ。」



 あんたもどうかと思うよ。


 「で、カレー寿司ですね?」

 どうしてお前らは事前了承事項としてものをしゃべる?まあ、カレー寿司を食べてみたいのは事実だが。

 「じゃあ、カレー寿司一つ握ってもらおうかな。」
 「へい、分かりました。」

 「お待たせしました、あがりです。」
 先ほどの板前がお茶を持って来た。
 そして、俺の左横1mの所でこっちを向いて立ち止まった。
 なに?何の用?不審な目で彼の方に目をやる。
 真っ直ぐな目で俺を見詰めて来る。
 何か俺は悪いことしたか?そんなに俺は久しぶりの客なのか?そんな俺の視線に気付いたように・・・

 「何かあったらいけませんから」と力強く言い放った。唾がこちらまで飛んだ気がした。

 「そうだ!何かあったらいけないな!」
 「はい!」

 親方と板前が熱いコンタクトを取り合った。この昼時に閑散とした店内で何が起きるというんだ、何も起きるわけないだろう。とにかく俺を無視しないでくれ。
 カウンターで親方の腕でも見てた方が勉強になるんじゃないのか?


 それにしても、この二人以外従業員は本当にいないんだな。
 それほど広くない店内、汚す人がいないのか掃除は行き届いている感じがする。しかし、カウンターのガラスケースの中に在るべきものが無い。魚が入ってないのだ。普通なら卸した魚等が次への食欲を掻き立てるものだが、笹の葉以外本当に何も入っていない。
 仕入れが出来ないくらい客が来ないのか。店内に寿司ネタの札も一枚も見受けられない、もしかして鼻っからカレー寿司とやら一本?
 そんな思案を中断させるかのように、

 「へい、お待たせ致しました!!」

 威勢のいい声がつけ場の親方から放たれた。





 店内に静寂が訪れる・・・。







 ・・・俺の前に寿司は表れない。ん?



 ん?親方の顔を見詰める。ん?なんだ、その笑顔・・・。



 彼から出た言葉は非常なものだった。











 「はい、あーんして。」









 えっ?何と言った?この男?
 親方の手元を覗けば、軍艦巻きらしきものが見える。ウニの軍艦で言うなら、ウニの部分がカレー色している。思っていたより見掛は無難のようだ。
 これがここのカレー寿司か?

 「お客さん、あーんして下さい。口までお運び致しますので。」

 「本気ですか・・・?」問いかける俺。

 「崩れやすいんで。ほら、あーんして下さい。」

 「持てますよ、ここ置いて下さい。」

 「お客さん、寿司っていうのは寿司職人の手から直接食べるのが一番美味いんです。寿司なんて、最初っからお客さんのために一口サイズで握ってある過剰サービスの仕事なんです。ならば最後まで過剰サービスするのが粋ってもんです。ほら、あーんして。」

 今まで生まれて来て聞いたことも無い説明で説き伏せられてしまった。返す言葉も無い。

 俺の横にいる板前も、
 「どうぞ、あーんして下さい。」





 ・・・・・・・・・・・・・。




 逃げたい、この店から逃げ出したい。さっきまでの昼飯のカレーを探していた頃の俺に戻りたい。
 どこかのクラブでホステス嬢に言われているのならまだしも、俺の目の前にいるのは子太りの寿司屋の親父だ。しかもポッキーなどではなく、カレーの軍艦巻き・・・。


 「さあ、どうぞ、ネタが乾きますよ。」

 「どうぞ、あーんして下さい。」

 「あーんして。」

 「あーんをどうぞ。」

 「あーん」

 「あーん」

 「あーん」

 「あーん」



 あー、ステレオで俺を追い詰めないでくれ!聞きなれないカレーの響きに誘われて、この店に入ってしまったことを非常に悔いた。



 仕方ない・・・・・腹をくくろうか・・・・・。
 おそるおそる開口を試みてみた。


 「お客さん、そんなにおちょぼ口じゃあ、カレーが唇に付いちゃいますよ。ほら、あーん。『あーん』って声に出したら、大きな口が出来ますよ。」
 「あーんです、お客さん!」


 どれほどまでに俺を辱めたら、この二人は満足するんだろう。決して悪意は見られないが、真っ直ぐにサービス精神に基づいて、そう言ってること自体が俺を尚更ギリギリと苦しめる。
 俺以外誰もいない店内、二人の商売人としての献身心は俺だけのために注がれている。重い。重い。重い。


 「あっ・・・・」なかなか、この歳で「あーん」なんて言えない。しかもこんな親父と若い奴の前でだ。

 「お客さん、あーんです、あ・あ・ん。ほら、あーーーーーん。」

 「あーーーーーんです、頑張って下さい。」

 どうして、諭されたり励まされたりされなければいけないのだろう。ただ単にカレーを探して頂けなのに・・・。ああ、二人の目線が痛い。
 何よりも、男二人がステレオ「あんあん」言っているのが気持ち悪い。そして俺にもこの「あーん一族」に入れと言っているのだ。




 俺は声を絞り出した・・・。




 「あっ、あーーーーん」





 「そうです!お客さん!」

 「いいです!お客さん!」




 今誰か、この店の扉を開けて入ってきたら、俺は羞恥心から舌を噛み切る!!



 カレーの軍艦巻きを握った親方の手が俺の口元に伸びて来る。

 来る。

 来る。


 来た。

 カレー軍艦が俺の口内に放り込まれる・・・。







 羞恥心の壁を越え、自尊心を踏みしめ、俺が手に入れたカレー軍艦。噛み潰し舌の上でこのカレーの全体図を読み取ろうと試みた。
 酢飯の酸味とカレーの辛味のハーモニー。一瞬、昔、夏場に5日間放置したご飯にカレーをかけて食べたときの合わせ技の味を思い出した。あのときの飯はただ単に時間の経過が生み出した自然の酸味を持つ飯だったが、今回の最初っから酢飯。
 飯自体にはカレー粉を混ぜてあるなどの味付けはないようだ。
 只単に酢飯にカレーを乗せたものを海苔で巻いてあるだけで工夫がある訳ではない。カレーは少し粘り気が強く崩れ難くしてある。
 カレー自体の味も特筆すべきことは特に無い。辛からず甘からず、美味からず不味からず。

 というか、全く別々のものを無理やり一口で食べた感がある。合ってないんじゃないのか。




 ふと目線を上げる。

 笑顔の親方は俺の目の前で俺の一挙手一足を見詰めている。

 嫌な汗が出る。なぜか眼球が痛い。


 
 変な顔も出来やしない。真っ直ぐ見詰めている・・・。

 俺もまっすぐ見詰め返す・・・。

 昼時の寿司屋の店内で大の大人が、カレー寿司を橋がけに見つめ合っている。異様な光景だ。

 目だけ左に動かすと、相変わらず先ほどの若い板前も俺を見つめて続けている。


 目線が痛い。


 それに、





 近いんだよ、あんたら。






 まるでまな板の上に乗せられているかのような気分だ。
 さばかれる魚はどんな気持ちなんだろう。

 租借する俺の額から一滴の汗が流れ落ちて行く。
 「んぐ」飲み込んだ音を双方とも聞き取ったに違いない。
 間一髪開けずに


 「次握りましょうか?あーんして・・・」


 このやり取りが繰り返され続けて行くのだろうか・・・。俺はすっかり「あーん一族」の一員として迎え入れられてしまったのだろうか?



 否。



 「あっ大将、大丈夫だから、ここ置いてくれたら俺自分食べられるから。」と耐えられずに再度口走った。

 そんな俺の意見も彼の肩の向こうに抜けていったのだろうか、とんちんかんな返事が返って来た。


 「むらさき(醤油)が要りましたか?では一滴たらしておきますよ。ソースもありますよ。」
 自分の行動になんの疑問もないかのように、前面に親切心を押し出して親方はそう答えたのだった。



 「カレーの巻物も出来ますよ!」



 巻物か、それは一口では無理だろうな。俺以外誰もいない真昼の寿司屋で、カウンター越しに親方の手と俺の口が巻物一本で繋がっている図を想像すると悪寒を感じた。
 また、その場面をこの若い板前は真っ直ぐに見詰めているんだろうな。
 ニキビが憎い。



 ああ俺の午後は長くなってしまったようだ。






 「あっ、あーーーーん」




   







    

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