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タイトル |
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first update |
すぐそこにいる鹿 |
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2007 08/20 | |
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普段の生活、私たちの周りには様々な動物がいる。いや、彼らと共存している。
それは猫や犬や鳥や爬虫類だったりするわけだが、そこにいるものにはあるボーダーラインが引かれている。
こちらの意向で自分のライフスペースに彼らを招き入れ、彼らの人生を背負い、パートーナーとして彼らと接しているかいないかである。
つまりはペットであるか、ペットじゃないかに分けられる。
「この猫はうちの●●ちゃん、でもあの塀の上に見える猫はただの猫。」
衣食住(衣は一部、犬)を提供することでパートナーとして共存しているものと、そうじゃないお外の子。
お外の子としては、猫なんかをよく見掛けるが、鳥類もペットとお外の子で分類するならば、よくお外の子を目にする動物だ。
犬も分類されるが、ここ数年、下手すれば十数年、ノラ犬というものを見掛けない。
勝手にペットに最適と決めておいて、そうじゃない子を「野良」呼び捨てするのもどうかと思うが、何度かのペットブームの末に「宅の●●ちゃん」以外の犬を外で見掛けなくなった。まったく出くわさない。むしろ今更野良犬に出くわすことにちょっとした怖いものを感じる。「お外に犬はいぬ」が当然となってしまった。
野良犬に追いかけられた末に、袋小路に辿り着いてしまったなんてマンガみたいなことは、それこそマンガだけの話だ。
以前、夜の寝静まった時間にて市内の繁華街を10匹近くの犬が、先頭のリーダー格と思われる犬を筆頭に一列になって早足で闊歩していたのを見掛けたときには、かなり驚いたが犬って野良は野良でも集まってそれなりに群れとルールを作る動物なんだと、改めて思い知らされた。そんな時間に歩いている私もなんだが。
しかし夜とはいえ、街中をそれだけの犬たちが闊歩している景色はどこか異質なものを感じるには十分だった。
私たちが普段生活している圏内では、オキラクゴクラクな感がある動物のみが動物であり、多少なりの危害を加えてきそうな動物は存在しないことになっている。
でもたまには他の動物もこの目で見てみたい。
動物園のように鏡や檻越しではなくて、綿ぼこりのようにノラ猫が存在するような感じで、すぐそばに普通にいてあたりまえじゃない動物をあえて普通に見たい。わざわざ見ようとしなくても目の端に入ってしまう感じで見たい。
というわけで、
***「船乗り場」***
***「着いた。もう左端になんかおる」***
広島県の瀬戸内海に浮かぶ厳島こと宮島です。
Wikipediaの文章をそのまま抜粋すれば、
「日本三景のひとつ、いわゆる「安芸の宮島」であり、大鳥居と海上に浮かぶ社殿で有名な厳島神社は世界遺産にも選ばれた。」
世界遺産。
世界遺産に選ばれた神社がある島である。
富士山などを差し置いて、世界的に残しておいた方がいいんじゃないか?という方針に決まったそうな。後世の人類が「あんまいらんわ!」と言っても、地球に住む人類の遺産として受け継がなければならない。
春は桜で花見、夏は西日本一の水中花火大会、秋はもみじ、冬は寒いと一年中オールシーズン行楽を楽しめる島でもある。冬はでっかいタバコのおばけみたいな篝火を男達が運び上げる鎮火祭があったりします。
そしてここの島の特徴はその大鳥居だけではなく、鹿という鹿が島中のそこらかしこに普通に歩いているということである。イメージしづらい方は奈良の状況を思い浮かべてもらいたい。それでも分かりづらい方は、普段の生活情景の中でノラ猫が鹿になってしまったと思ってもらいたい。しかも凄い数。ノラ猫共々五歳以下の子供も鹿になったと思ってもらいたい。
女子高には女子高生が、男子校には男子高生しかいないのにも似ている。
ちなみに山の方に行けば、猿もいるらしい。
「お猿さん」レベルじゃなくて、プロの猿がいることだろう。プロゴルファーよりも猿らしく、プロゴルファーの父親より本能に赴くままに行動する猿がいることだろう。プロのモンキーが。
吹雪舞う雪山の猿はYO☆WA☆NEも吐かない。
***「普通にいる」***
世界遺産に指定されているだけあって年間の観光客の数は生ぬるくない。瀬戸内海に浮かぶこの島と、中国本土を結ぶちょっとしたフェリークラスの船は片道15分程度の航路を一日何往復もしているし、しかもその船も一つの会社だけではない。競い合って観光客の移送を行っているのである。もっと言ってしまえば、JRの運営する航路VS民間運営である。
それだけの観光客が押し寄せるだけのことあってか、鹿たちの態度は非常に慣れたものである。
こちらがやれ鹿だ、鹿だ、茶色だ、とはしゃいでいる反面、彼らの面構えと言ったらクールそのもの。
鹿の住みかに我々が野良としてお邪魔している錯覚すら覚えるが、この島にちゃんと住んでおられる方(人)も多数いらっしゃるし、お土産屋もたんまり、ホテルに郵便局に病院に銀行に交番にと普通に暮らしていける。ただ鹿と人間のお互いが、同じ島内にいて当然というルールがこの島内で成り立っている。
むしろ鹿の存在も観光の売りとなっているので、いてもらわないと困るのだ。
戦後まもなくはかなりの数の鹿がとある理由で激減してしまったので、奈良から移送してきたぐらいだ。
そこまでして鹿のいる島でなくてはならないのだ。
***「ズーム写真じゃなくて、すぐそばにいる」***
普段ノラ猫が集まるようなところに、フェリーや電車や車を使ってわざわざ見に行く人は少ないが、それが鹿や猿なら話は違ってくる。 普段からして都会の真ん中とまで言わないまでも、公園などにノラの鹿や猿がいることが当たり前ならば、それはいることが当然として処理されるが現実はそうじゃない。なかなか窓を開けたら、猿がいたとか、鹿がいた、クジラが潮を吹いていたということはない。場所によってはスーパーに猪が入って来るという地域もあるが、なかなか猫や犬や鳥など以外は見掛けない。
サーカスの動物だってそんなに逃げないし、団員が鍵を掛け忘れない。
すぐそばに異質な動物がいるということだけでそこは十分な観光スポットとなる。
愛くるしいというポイントも大事だが、一番にまあまあ安全な動物ということに限られる。
しかし大繁殖の末にエサ不足となり、観光客の持ってきたお菓子などを狙う鹿も少なくないという。奈良も宮島もそこら辺のハングリー精神と、エサのために人間の足を踏むことに一切のためらいがないことに対しては共通するものが見え隠れする。元の祖先が同じならば、そこら辺の厚かましさも根っからものだろう。
猿なんかはキーキー騒ぎ立てたりするが、鹿は表情を一切崩さない。
ここも大事な点だが、基本的に鹿にエサを与えてはならないことになっている。むやみやたらに寄ってくるからといって、これまたむやみやたらにエサを与えていると、その観光客は数時間して帰るものの、鹿の方としてはいらぬ厚かましさを覚えることとなる。
そんなの鹿の教育におよろしくない。誰かのペットではないのだから。
***「タヌキが喫煙中」***
厳島神社のある方向に向かって、海岸沿いを歩いていく。
右手側には海、左手側にはお土産屋やホテルが連なっている。神社に向かっていると言っても、ここの神社は海の上に建っているのが特徴だけあって、急勾配の階段などを山登りをしなくていいので幾分楽だ。
120%の良い天気と潮風と島の中に漂う穏やかな空気が非常に心地よい。私が二・三歳児だったならば、当によだれを垂れ流していたことだっただろう。
しばらく歩くと大きな石の鳥居に出くわした。
***「いい天気に映える」***
鳥居の両サイドには、
***「あ」***
***「うん」***
二匹の狛犬がちゃんとお出迎えをしてくれている。特筆すべきはその狛犬の台座の後ろだ。
***「親子連れ」***
台座の日陰にて鹿の親子連れが休んでいた。ここら辺の光景もここの島ならではといった感じだろう。
これが普段生活をしている圏内の話なら驚きだ。 駅前のポストの後ろに鹿が眠っていたりなんかしたりした日には誰も彼もブログ更新だろう。しかしここに住んでおられる方にとってはこの光景がが当たり前。鹿の親子が狛犬に守られているようにも見える。
守られるも何も、ここには鹿にとっての敵がいない。
敵がいないということはのびのび大繁殖。 口の形状的に口笛は吹けないと思うが、家族揃って口笛吹いているような感じでのんびり出来るわけだ。
敵は空腹ぐらいだろう。
鳥居をくぐって、島の形状に沿って大きく曲がる形で進んでいくと厳島神社が目に入ってきた。
そして神社よりもやはり目が行ってしまうのは海中から突き出している大鳥居だろう。
***「でか過ぎる」***
何かラジオ体操のワンシーンであんなポーズがあったなと思わせるほど、のびのびと伸びている大きな鳥居は、明らかに私の中の非日常の景色だった。本当に大きな鳥居だ。しかも海から生えている。
大きな珊瑚礁じゃないよね?
ここでの一番の観光スポットだけあって、観光客の集中率もここがかなり高くなっている。サーモグラフィで見れば真っ赤かなエリアだ。
そして人が多いと、ここでのルールでは鹿も多くなる。
基本的に「我人間に関せず」モードで鹿は接しているが、底辺には「出来れば何かくれ」モードも見え隠れしている。
***「近い」***
***「触るか?」***
***「撫でれ」***
***「ちょっと待て」***
鹿たちの佇まいはどこか、人間も鹿も皆一緒の宇宙船地球号の仲間といったほど寛大であった。
また鹿の集中率が高いとそれに伴ない、足元には鹿の肛の門から放たれた黒い塊がころころりと転がっている。
それは、チョコボールであり、麦チョコであり、小豆であり、地雷である。
ある程度のフンは島の方によって数箇所に寄せ集められているが、ポロリポロリとお尻から自然落下で放たれているものに対して竹ボウキで集めるのも限界がある。もう踏んでなんぼだろう。
***「鹿のフンボード」***
軽く悟りを開いた感じを醸し出している鹿たちを抜けて、神社の方へと歩を進める。
途中このような注意書きを見つける。
***「角のある鹿は危険です」***
確かに常識的に考えてそれは彼らの武器であり、普通なら近づかないだろうが、お上りさん気分で訪れている方々の中には、全ての鹿が精神的に虚勢されていて角に触れても問題ないと思う方もいるだろう。 確かに人間には生えていないものだし、身近に自然の動物がいるという状況から、一度くらいその不思議な形状の角に触れてみたい人もいるかもしれない。もしくは、おっとっととつまづきかけて、咄嗟に木の枝に手を伸ばしたら角だったという方もいるだろう。いるに違いない。
黒真珠かと思ったらクソだったという人も。
そんなときはさすがに鹿でも多少なり嫌悪感を露わにすることだろう。
いやになっちゃうわといった感を、角で表現するときもあるだろう。
そんなことをされたときに、咄嗟にグッチのバックで防ごうにも、さすがに生まれ持って武器として存在するものに敵うわけがない。
またその愛くるしさからむやみやたらに小鹿に手を出そうとすれば、どこかで見ていた親鹿が「あんたちょっと、いくら可愛い過ぎるからって、うちの子が世界中の鹿の中で一番可愛いからって、べりーベスト・オブ・ベスト・オブ鹿だからって、なに触ってんの!?」とツッコミ一発を食らわしてくる可能性もある。
角のある鹿は危険だ。
鹿のある角も然り。
また、
***「小石を投げるのは人として問題外」***
何度も話に出てくるがエサやりはご法度となっている。
人間の大衆世界で共存している形にはなってはいるが、基本的に彼らは自然動物であり、自分自身でエサ取りが出来なくなればそれは生き物としての死につながる。まあ上手にエサをおねだりするのも、生きる上の一つの道ではあるけども。
看板に記載がある限り過去にそういう前例があったのだと思うが、小石を投げるくらいならこの島に上陸してはならないだろう。
にしても、
***「ピーナッツ(スヌーピー系)っぽい」***
角に触る以前に彼は何をやっているのだろう。
両手に抱えているのが、あげようとしているエサであって、大量に手の平に受け止めた鹿のフンじゃないことを願う。
社殿の入口で入場料を払い境内へと入っていく。
***「赤い」***
中は綺麗な朱色と白のコントラストが冴える廻廊を歩きつつ、奉ってある神々を拝観することが出来るようになっている。実際本物なんて見たことないけど、なんだか竜宮城に乗り込んだ錯覚を覚える。
何かしらツアーの団体さんがいるなと思えば、聞こえてくる会話が他のアジア圏内の方々の言葉。世界遺産に選ばれているだけあってその観光客は多種に渡っているのだろう。
日本人の私にだってあまり通用していないのだから、彼らにとっては日本の神様は全く通用しないことだろう。
***「干上がり」***
***「引き潮」***
ここの社殿は海の上に建っているように見えるのも売りであるが、この時間はたまたま引き潮だったためか、社殿の下は今にも潮干狩りが出来そうな程度に干上がっていた。
これが満ち潮の時間だったならば、海から社殿が生えているかのように見えたに違いない。
***「大鳥居が見える」***
社殿の先に見える大鳥居に関しては、満ち潮引き潮関係なしに海水に浸かりっぱなしのようだ。
***「海岸近くにきた」***
***「赤VS青」***
***「なんか基地みたい」***
神社に来ているのに桟橋と合体しているせいか、どうもハーバーというか船乗り場に来ているのような錯覚を覚える。神社ハーバーだ。
これでさらに満ち潮だったならば、その感じはより濃厚だっただろう。
そして本殿から海岸に向かって伸びる桟橋見ていると、何かしらの滑走路にも見えてきた。本殿の前面が大きく開き、流線型のフォルムの飛行機が出てきても「ああ、やはり、そういうことですか。」と納得出来そうだ。
神無月に全国から八百万の神々が出雲大社に集まり神議が行われるときなんぞ、ここから鳥取県の方向に向かって発進するんじゃないかしら?
ちなみに能舞台が本殿のすぐ前に広がっており、さしずめロケット発射台といった感じか。
***「ハートカクテル」***
桟橋の先でソバージュの頭の女性は何を思う人ぞ。わたせせいぞう氏のイラストに出てくるような恰好をされておった。ソバージュも然り。
***「なんか基地みたい」***
写真には写っていないが、このちょっと前には鳥居の足元まで頑張って歩いて向かって、記念写真を撮っておられる方がいた。引き潮でよかったね。
そこらかしこに鹿がいるものどうかしちゃっているが、この鳥居の大きさもどうかしちゃっている。しかも海の中に建っているのもどうかしちゃっている。
今のこの時代、ゼロからこういうものを造ろうという発想は到底浮かばないだろう。
青い景色を背景に朱色が冴える大鳥居の姿は風光明媚だが、聞いた話によるとこの大鳥居の向こうの山の手にだ、何かしらの宗教団体がどでかい建物を建ててしまった。
上の写真にもチラっと見えるが鳥居を拝めば、その先の山にその宗教団体の建物が否がおうでも目に入ってしまう。当然、ここの神社とは関係ない。
いや実にこれが上手いことしやがったなと憎ったらしいたらありゃしない。
崇拝も信仰もそりゃあ自由だけど、そりゃないんじゃないかい?ここの観光地の人気に便乗しまくっているじゃないか。そういう根性の崇拝対象ってどうなんだろうね。
そのまま廻廊を歩いて神社から抜けることにする。
***「溝で周る鹿たち」***
境内から離れると先ほどの注意書きに書かれていた種の鹿がそこそこいた。枝のような角を生やしているオスの鹿たちだ。
***「ポッキーのような角」***
***「基本的に我関せずスタイル」***
***「明らかに真ん中にキャプテンがいる」***
道を挟んで隣接して宝物館が建てられており、そこに入ってこの宮島の歴史を紐解いて行くと、ここの大鳥居を見たときに感じた、「修復どうやってんだ?」という謎が素直に解けた。
当然と言えば当然なのだが、あの鳥居より大きい足場で囲んで修復するらしい。そして当然ながら海水にも浸かってはいるし、潮風も全身で受けているだけあって痛みは激しい。足場は前後に二本、左右四本の支えの足が組み込まれており計六本の足で構成されており、底の部分の素材は木ではなくコンクリート製である。しかし数百年まえに最初に建てられたものは全身木製の鳥居だ。
***「溝で周る鹿たち」***
それよりもニュースなどを見る限り、厳島神社の本殿の方がよく台風などで痛めつけられいる光景をよく見るイメージがある。美しい神殿もその美しさをたもつのに苦労が耐えないようだ。まあどこか人間にも通じるところがある。
さっきからチラチラと五重塔が見えていたので、そちらの方に向かおうとする道すがら、何か小さき動物がダッシュで駆け抜けるのが見えた。
***「タヌキである」***
本当に自然味溢れる島である。
鹿の方もタヌキが気になったのか目で追っていたのが印象的だった。しかしそこで狩り的なアクションを鹿が起こすかと言えば、彼らは静かに首を動かすのみだった。
ちなみに先ほど喫煙をしていたタヌキとは関係ない。
***「赤い」***
これまた神社の本殿に負けず劣らずの眩しい朱色の五重塔は少し高台の上にあった。
別にそんなにも塔に興味もないけど、せっかく来たならばあれもこれも見ておかねばといった、バイキング形式のレストランに来たのならばあれもこれも食べて元を取るぜスイッチにも似たものが頭の中で動いていた。
しかしそれも日頃の運動不足を目に見える形(足・腰)で突きつけられた後となっては、そこから五重塔を見ても特別な感情は出てこなかった。こんなに鮮やかな朱色ではないが、前に住んでいた京都にも五重塔はある。
これが死亡遊戯よろしく、一階一階に刺客がいて倒さないと上に登れないというのなら話は変わってくる。しかもその刺客が巨乳気味で美女気味な女の子が待ち受けているというのならば、しかも対決がトランプとか言うのならば喜んで上って行く。
おっぱいパンチならノーガードで受ける。
前傾気味で受ける。
自信がある。
揺るぎない自身がある。
当然そんなこともなく、上ったからには自然の摂理で降りるしかなく、黙々と高台から石の階段を一歩ずつ踏みしめながら降りていく。
降りた先の路地には古い町並みの土産物屋がずらずらと連なっており、なんだか観光客として待ち受けられた感がある。
***「B&B」***
多少の汗もかいたのと、ちょっと休憩したいのもあって一番に目についた広島名物のもみじ饅頭屋にて、焼きたてのもみじ饅頭を頂くこととする。
焼きたてのもみじ饅頭は、普段土産物として箱から出して食べるもみじ饅頭とはレベルの段違いに美味く、目から鱗どころか角膜まで落ちそうになった。本当に美味い。
ここで、もみじ饅頭とはなんぞやと思う方もいるかもしれないので、商品名のごとく紅葉したもみじの葉のような形をした和菓子である。 かと言ってこれまた厳島神社並に赤いわけではない。
また、もみじは入っていない。
そして地方の名産和菓子にあるように(例:八橋)、中身はアンコだけはなく多種にバラエティ化されている。
***「地面」***
あまりにその焼きたてのもみじ饅頭が美味いのと、店の方がお茶まで出してくれたので、未来の自分への土産として一箱買おうかなと思ったが、既存の箱詰めの方はよく知っている味であり、下手すれば東京でも余裕で手に入る。これほどの感動はその箱の中にないということで、その場を離れることとする。 しかしその場で焼きたてのもみじ饅頭を食べた日には、その美味さから土産用の物を買う人続出であろう。それほどに焼きたてのもみじ饅頭は美味いぞ。美味いぞー。
***「商店街」***
その先はちょっとした商店街になっており、雨の日でも安心して土産物をお買い物出来るときたものだ。
鹿だって安心して歩ける。
しかしこの日は大きな虫メガネで照らしているかの如く晴れ渡っていた。
そんな商店街の名前を表参道商店街という。原宿に至極似たような名前の通りがあったような気がしたが、私の気のせいだ。
その中の一軒の店のショーウィンドーに、宮島のこの店に来たと思われる芸能人の写真パネルが飾られていた。
***「しゃもじも広島の名物です」***
もうちょっとズームアップ。
***「家庭円満・・・」***
いつの頃のものか分からないが、まだお笑いに部類される頃のものだろう。
***「そのまんま知事」***
今では宮崎県知事であるが、この頃の姿を見る限り、「まさかあの人が」という形容がピッタリだ。真ん中に抱えている「家庭円満」というしゃもじもどこかむなしい。関係ないが宮崎シーガイアは結構楽しかった。そして私的に宮崎の地鶏は日本一美味いと思っている。
「まさかあの人が」という形容は、芸能人にはよく適応される。
そしてここの商店街でも普通に彼らはいる。
***「たむろ」***
その振る舞いと来たら、空気に近いほど彼らの佇まいは自然だった。
今までノラ猫の如し例えていたが、どうもこれはそれどころじゃないな。
ノラ猫に置き換えても、普段こんなにごろごろノラ猫がたむろっている光景など目にしない。
ちなみに郵便局の前だ。
やはり何と言うか、多すぎだろう。鹿多すぎだろう。
そしてしゃもじがどれくらい広島の名物かと言うと、これくらい名物だ。
***「取っ手のついた壁」***
やはり何と言うか、大き過ぎだろう。しゃもじ大き過ぎだろう。
これが一枚板ときたものだから立派なものだ。こんな大きさの木など、この21世紀に存在しないだろう。
そして野生の鹿と言えば、ある特定の木の皮を食べることで有名である。野生の鹿が多く住み着いている地域の木は皆つるんつんだ。そしてしゃもじもつるんつるんさ。まあ全く関係性などない。
このしゃもじに対抗する飯桶、そして茶碗が見てみたいものだ。
それにしても川の流れをせき止めたりも出来そうだ。
そして瀬戸内海に面しているということもあり、新鮮な魚介類が手に入りやすいのか練り物系を店先で売る店も多く見れた。ファーストフード感覚で、様々なトッピングを練りこんだバラエティ豊かな揚げ物をたくさん目にした。「これも練り込める、あれも練り込める、晩御飯の残りでも新商品出来るんじゃないかいね?ちょっと持ってきんさい!」と、練り込んだ者勝ちみたいなところもどこかあった。
クレープ感覚で歩きながら練り物を食べるのも新しいかもしれない。
正に商品のバラエティはクレープ感覚だ。
よくシャッター商店街と称される、郊外の大型店にお客を取られるわ、おまけに跡継ぎもいないわという理由でシャッターを降ろしてしまっている店舗が続く商店街が増えているけど、ここの商店街は稼働率が120%くらいだった。世界遺産の地にある商店街はやはり違うな。
店先で練り物を売る店もかなりダブっていた。
そして結局私は練り物は食べていない。
***「かゆいらしい」***
ほどなくして商店街を抜けてなお歩を進めると、フェリー乗り場に戻ってきたので時間を見計らって本土に戻ることにした。
***「こちらとしては"帰り"」***
宮島行きのフェリーに乗る際には気がつかなかったが、やはりここら周辺ももみじ饅頭アピールが激しい。その他に一体どれほどの種類の売りがあるのかとツッコミたくなるが、あなごめしも売りなようでそこら辺のアピールもぬかりがなかった。
***「あなごともみじ」***
そしてそれに釣られて、あなごめしを食したがなかなか丁寧な仕事がされた逸品であった。
店も大繁盛のようであった。
帰りの新幹線乗り場では明るい仲間が見送ってくれた。
***「男性ホルモン過多」***
***「平の清盛くん」***
下手に歴史に名前を残すと何されるか分からないな。
じゃあ、また!
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