ラフ&ピース



 先日、国家チャンネルの「爆笑オンエアバ●ル」を一通り観ていて、一度も笑えなかった。

 若手と呼ばれる芸人たちに、お笑いバトルロイヤルをさせられて、会場のお客さんからの反応が良かった何組かだけが(ボールの数。数字でおもしろいかどうかを表す)、放送されるといった内容だ。
 他組との競争で、磨き磨かれ上に残るというコンセプトはいいと思う。
 しかし出てくる方々にピンとこない。

 笑うというのは、見る側が、ある程度心の帯を緩めてないと起きないと思う。昨日見た芸人さん達に無知だったため、心の帯を緩めるヒマもなく、次々と、練習したんだろうなぁと思われるテンポよいしゃべりを見せられ、笑えなかった。

 いわゆる「つかみ」、初対面でも、お客さんの笑いを掴むのが上手い人たちもいる。それが琢己だと、知らない間に心の帯は緩んでしまっている。
 芸人は舞台だと、ほとんどの客が初対面だ。いかにして、すぐ受け入れてもらうか。

「お茶でも飲んでいかんかねマインド」

略して”お茶マイ”を引き出すかが勝負だ。
 最初にそれが出来ずにだらだらと行くと最後まで、静寂提供者現る!!ということになってしまう。
 笑いのHOW TOにくわしくないが、今まで生きてきた中で、お笑い芸人を見ていて、簡単な所で芸人さんたちが客を掴めたんじゃないかなと思うことでは、卑怯な方法だと思われるところで、素が出てくること。
 彼らは練習を重ねている、だから舞台上では機械のように、計算した会話のやり取りが行われる、しかし何かミスなどによって、彼らの素が出ると、客は彼らにお茶を出して上げたくなる。



 これはお笑いの手では、卑怯だろう、己の技ではないしね。でも、笑う要素に芸人さんの人柄も含まれていいだろう。
 あれ?こんな市民寄りっだったの?、隣の浪人中のお兄さんと変わらないじゃない的なところに”お茶マイ”は出てきやすいんだろう。
 そうなると、「まぁまぁ、オコタに入りなさいよ」と芸人さんの呼び出そうとする”笑い”とは別の”笑い”に素直に反応してしまう「ご飯あまり食べてないんかね、よしよし、確か昨日の残りの煮しめが・・・」。
 お笑いをする人に対しての軽視(悪い意味ではなく、世間的な立場)からも、余計に哀れみ誘い”お茶マイ”が働いてしまう。
 また、舞台に上がってる人、自分より注目されてる人が、自分と同じラインに並ぶことを、そう、”出る杭なんかないよねマインド”、略して”出る杭ないマイ”が働き、誘発されて”お茶マイ”がでてしまうのだろう。
 あの委員長が、

「鼻から牛乳!!」


 それだけでおもしろい。普段気取っていて、しっかりしている彼でも、むせた時には、鼻から牛乳が垂直に吹出してしまうのだ。

 しかし、そればかりだと困りもん。
 常に素が出てる。芸がない。えっ?素人さん?
 いつまでも、そればっかりだと、「オコタ出ぇ、あんた、お笑い辞めて、働き!!普通に働いた方がええ。そうさ、そうさ、知り合いの和菓子屋さん紹介してあげるから。」と言いだしたくなってくる。
 やはり委員長なら、少しはしっかりしていてもらいたい。学級崩壊を引率されても、ちょっと。
 プロのお笑いなら、プロと言われる腕を持ってもらいたい。だって、プロの笑いって、証明する資格があるわけじゃないんだし。
 受け手が認めていて、初めて成り立つものだから、技を見させて聞かせて証明しなければならないと思う。
  お情けに近い”お茶マイ”だけでは、未来はない。いつまでも、親戚の集まりで、小さい子供がちょっとドジして、大人達が笑う、のほほん風景は続かない。いずれ、心配されてしまうものです。取り寄せられすぎた見合い写真。
   馴れ合いだけの笑いでは、いつか客は離れてしまうんじゃないかなぁ。
 素を出し続けても許される芸さんもいるけど、やっぱり、芸の腕は高くて、しっかりしているから、安心して”お茶マイ”をいつも出しちゃう人がいいですね。
 あの人が出てるからテレビを観よう、みたいなね。
 お情けからではなく、愛着ゆえの”お茶マイ”を引き出してみせなければ。
 テレビなどには、あまり出ないが確実に根強いファンを持ってらっしゃる芸人さんなどは、この回で云うお茶やお菓子も、本当に、本当に、いいお茶やお菓子をお客さんから出してもらってるんでしょうね。

   なんて偉そうなこと言えないんですけどね。



 





        

頑張れバッファロー吾郎・・・・。



       

 



      
 

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