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スーパーホラー大会・前編 2004 11/17
   


 その日は何かしらやり切れない怒りが、自然界から人間へと向けられたんじゃないかと思ったほどだ。森林伐採もしくは温暖化の復讐のごとく荒れ狂った勢力を持つ台風が首都を直撃していた。

 戦後歴代2位の大きさを持つ台風22号が。

 大掃除のつもりか?

 そんなに人間が慌てふためく様が見たかったのか?

と問いかけたくなるほど都内の「vs雨風」の荒れ模様はニュースで随時流されていた。
 東京中が水を入れぱっ無しで忘れていた湯船のように水で溢れかえっている様子が映し出されていた。
 ブラウン管の中でアナウンサーは本慮発揮といわんばかりに、どえらい台風なんだぞぶりを解説していた。世間が危機的状態になるとアナウンサーって輝いてる気がする。
 気象予報士は外に出るなと言う。
 ノラ猫はどうしたらいいんだろう。


 「今日は早く店仕舞いします。」
 「今日は早めに家に帰ります。」
 「今日は集団下校でみんなと一緒に帰ります。」
 「老人は外に出ないで下さい。」
 「こんなに日に限って屋根の修理しないで下さい。」
 「海?死にたいんですか?」
 「シャンプーするなら今だ!」

 そんなセリフが流行言葉、もしくは挨拶かの如くここぞとばかり街中で発せられていたに違いない。
 困惑する街の人の中には、

 「飛ぶなら今日しかない!」

 と発した人も中にはいたかもしれない。

 もちろん己の力で飛ぶ羽田発・羽田着の空飛ぶ鉄の塊はみんな欠航していた。やはり自然にはかなわないというわけだ。自然の力を利用して飛んだ人はいただろうか。

 私は午前中は降りしきる雨の中、自転車での走行をあきらめバスで大学病院に通院し、治療室の窓から見える台風っぷりの景色を口を開けて見ていた。
 帰り道は痛む歯茎を押さえながら、なんだか勢力を増すばかりの嵐に傘も役立たず横雨に撃たれながら帰った。

 しかし不謹慎だが「こんな天気の中、きぐるみ着て風船を配る人がいたら面白いだろうな。」なんて少し思った。



***「叩かれてる感がある」***



 ふぅー、今日は大丈夫なんだろうか?何が?何がって、新文芸坐/新文芸座でオールナイト行われる「スパーホラー大会 PART2 ゾンビ編」in池袋だよ。

 「台風が都内を直撃しているため、お客さんたちの身の危険を考慮して本日は・・・」
といった映画館側の配慮での上映中止も無いとも言えない。

 チケットは手元にある。最近ツイてないことが多かったので、自分の中では前々から楽しみにしていた催しものだ。ビデオで家でぽつねんと観るのと映画館でみんなで立て続けにホラー映画を観るのとでは、お楽しみ度が全然違う。
 大型台風の日にオールナイトでホラー映画四本立て・・・果たして・・・。



***「体重軽きものは飛ぶ」***



 





 なんて心配はよそに、夜の八時ぐらいになるとあれだけの暴れ太鼓っぷりも、すでに鼓笛を奏でるかのように落ち着いてしまっていた。
 勢力も凄かったけど足も速かったのだ、疾風のごとく通り過ぎていた。
 しかし最寄の駅周辺の台風の爪あとは凄まじく、どこかから濡れた大量の枯葉と植木鉢と看板と自転車を運んできてぶちまけてみましたと前衛アートかのごとく、いつもの周知の駅周辺の様子とは似て異なっていた。

 いつもより多く濡れております。いつもより地面が見える範囲は狭めでございます。-そんなサービスは要らない。

 都内の電車は何本か遅れていると聞いていたが動けば文句は全然無い。もう雨も風も無いのだ、この天気の様子だと公開中止はないだろうと踏んだ。
 にしても歯が痛い。昨日にまず一本、歯茎を横から切って二時間近くかけて難儀な親知らずを抜いたばかりだったもんで、縫い合わせている箇所がズキズキと痛む。ホラー映画を観ればそんな痛みも忘れられるもんだろうか。
 抜いた側の頬は腫れている、軽くホラーか片側宍戸錠状態(頬のシリコン取り出す前)だ。
 しかしこれから抜く予定の歯はまだある。


 まあそれはいいとして、時間的には人の流れと反対側の電車で池袋へ向かう。土曜の九時前の池袋も台風の爪あとが残っており、全体的に街や人が疲れた感じが見受けられた。そこらかしこから「大変だったね」と街の声が聞こえてきそうだ。

 あれだけ風が強いと街中は綺麗さっぱりになってそうだが、そんな漫画みたいなことも無く「むつごろう」が出てきそうな軽く泥地に池袋の地面は変貌していた。
 台風は掃除が下手な奴だ。強い力で掃くだけが掃除では無い。

 疲労感による静寂みたいなものが漂う池袋をただただ新文芸座へと足を運ぶ。私も歯のことも台風のことも、夜の九時過ぎだということもあり、なんだか疲れていた。
 疲労感を抱えて映画か、それもまたいいだろう。


 新文芸座の前には何人かの若いグループが立ち尽くしており、一瞬「あれ?まさか中止かな。」と思ったが、新文芸座が入っているビルのエレベーター横には、ちゃんと今日のオールナイトのスケージュール表が出ている。

 こう書き加えられて・・・、

 簡単に言えば「電車など交通機関に遅れが凄く出ちゃってるから今日は15分押しで上映するよ。」

とのこと。15分押すが上映は行われるんだ。確かにこの台風で交通機関に遅れは各地で起きている。遠くからせっかくはるばる来て既に上映されてたらショックだろうに、それが台風のための遅れによるものだったら悔しさも増すというもの。そんな悔しさを映画の看板なんかにぶつけられても困る。「んもうー!どうして!どうしてなの!」みたいなことが無いように映画館側の適切な配慮だな。
 よしよし、ここまで来て上映中止だとまるで「台風の痕の惨状リポートin池袋」になってしまう。それだけは避けたい。

 まずは上へとエレベーターに乗り込むと、どかどかとさっきのグループも含め人が乗って来た。建物に入っているテナント的に、上に行くエレベーターに乗り込んで来る人はみんな新文芸坐に用がある人たちだ。上には映画館しかないもんね。
 ああ、この人らオールナイトでホラー映画を立て続けに四本も観るんだあと、まるで他人事かのように一瞬思った。若い人から中年の人、カップルや一人者も含め遊園地のアトラクションに向かうワクワク感を抱えた人、本当にホラー映画が好きなんだろうなといった感じの人まで様々だった。

 それはロビーに行くとさらに倍率ドン!


 こんなにいるみんなオールナイトでホラー観たいの?どうかしてんじゃないと自分にも向けてツッコミを入れたくなった。この中の何人かは台風で上映中止になるんじゃないかなと心配したのかな。

 会場にまだ入れるわけではなく、アナウンスによると前売り券の整理番号の順に入れていくそうな。また上映時間について15分押しとか言っていたが正確には四本立てのうち最初の一本目の映画の上映時間は変えないが、残りの三本の上映時間を変えるとのこと。
 ・・・・・電車の遅れで当初の時間に来れなかった人は諦めろということでは無く、他の三本の映画前に流れるはずだった予告を全て最初の映画の前に流すということだ。一本目の予告が15分ほど長くなれば多少遅れて来た人がいても大丈夫だ。やはりいい映画館だな。
 その代わり、残り三本は休憩後有無も言わさず即始まることになる。テンポがあっていいかもね。

 先ほども書いたが結構な人数の人々がロビーで開場を待っている。ここの映画館のロビーは狭目なわけでソファーなど置いているわけでも無く、突っ立ったままそこら辺のチラシを見るくらい以外は手持ちぶたさだ。こうゆう時タバコでも吸えたら時間つぶしにもってこいなんだろうけど、人生で一度も吸ったことが無い。無駄な出費が無くて良かった。これが「禁煙国家」ことブータンなら褒めてくれるだろうに。
 映画館の従業員がトイレを一時的に閉鎖している、一応オールナイトだから最終の最終興行に当たる訳で、その前の普通の上映の最終回の人がトイレに入っていてそのままオールナイトもついでに観ちゃうってことも、やろうと思えば可能だからだろうか。

 なんてたってシネコンなわけじゃないんだから、上映会場一個しかないもんね。

 会場内に普通上映の最終のお客さんが残っていないかチェックも終わり、トイレ内のチェックも終わり遂に開場となった。
 本当に前売り券の番号順に並ばすとかじゃなくて、「適当に●●番までの人来て下さい」とアバウトな感じだった。なかなか当方の番号の台まで回って来ない。ホラー好き、怖いもの観たさの客は多いんだね。

 やっとこさ開場入りして、後ろから五列目ぐらいの端の席を取る。これから朝五時まで映画を観るわけで、如いて言えば持久戦なわけだ。真ん中の席とかじゃなくてトイレも行きやすく足が伸ばせる端の席がいい。
 ここの映画館は数年前にリニューアルされたおかげで全体的に綺麗だ。もちろん椅子の座り心地もいい感じだ。
 今まで何回かオールナイト上映を京都の映画館で観てきたが、やはり問題は椅子だ。
 椅子が堅い映画館だと、映画を観ていて意識は映画の内容に向いていても、腰・もしくは尻周辺からの痛みは隠し切れず、じわりじわりと映画鑑賞へと向けた意識に邪魔を入れてくる。そんなことになったら映画の鑑賞に身が入らないということになってしまう。最終的には体の不調を押してまで観てるような状態になり、「何、こんな夜中に無理してんだろう。」という自己嫌悪の溝に堕ちて、さらには自己反省の感情を抱えることになる。たかが映画でそこまで追い込まれる故は無い。
 尾てい骨に軽症捻挫を患う必要も無い。

 今回の四本立ての最後の上映は「フレディVSジェイソン」だが、この分だと「フレディVSジェイソンVS下半身の痛み」ということにはなりそうにない。いい椅子だ。ドリンクホルダーまである。

 次々と埋まっていく座席。

 当方は持参したペットボトルのお茶なんか取り出して、座り方のベストフォームを模索検討、この一席のスペースでこれからの長時間如何にくつろぐかが勝負の鍵を握っている。家で作ってきたおにぎりを持参してるくらいだから。
 腹が減るかなと、おにぎりを持参したのはいいが歯が痛い。食べれるんだかどうだか。


 ほどよく時間が過ぎ、ブザーと供に場内の明かりは落とされいよいよオールナイトでホラー大会が開始された。
 今日のお献立は「テキサスチェーンソー」「ドーン・オブ・ザ・デッド」「アンデッド」「ジェイソンVSフレディ」の順になっております。
 まだ拝見したことないのが最初から三本目までで「フレディ〜」だけは既にビデオで視聴済みである。四本目はどっちかというともう観たくない。怖いからとかじゃなくて映画的にどうもなんだか・・・。
 最初の二本はネタ切れからか近年ハリウッドで多いリメイク作品となる。もちろんオリジナルのは昔観ている。このホラー大会に来る前に「テキサスチェーンソー」=「悪魔のいけにえ」はもう一度拝見しといた。


 では至らない前置きが長くなってしまったがいよいよ映画が始まった。



***「ほっぺが既にホラー」***






 ●一本目:「テキサスチェーンソー」






 この映画だがオリジナルを観たのは高校生の頃だったかな、そんなに昔じゃない。小さい時からアメリカ、イタリア、日本を問わずにホラー映画をビデオで借りて観るのが好きで、「悪魔のいけにえ」というビデオがあるなーというのは知っていた。

 しかし、頭の中では「死霊のはらわた」「悪魔のいけにえ」も、なんなら「悪魔の毒々モンスター」も混同していた。やけに「死霊がどうのこうの」「悪魔がどうのこうの」ってタイトルが付いたホラー映画が多かったせいもあるし、でもこんなタイトルを付けた映画はきっと面白くないに違いないと子供ながら避けて来た。何せ100円レンタルとかある時代じゃなかったし、子供だから自由に借りれる権限は無かったから失敗作は引きたくなかったからだ。ましてや日本が勝手に付けた邦題だなんて知らなかったしね。

 それに「悪魔のいけにえ」ならレザーフェイスが載っているパッケージが怖かったし、「死霊のはらわた」なら悪魔のとり憑いた女子大生の顔が怖かったし、「悪魔の毒々モンスター」はまあ置いといて、とにかく怖いもの見たさを超えた怖さをパッケージから感じたのだ。


 それから時は過ぎ、高校生になった当方は自由にビデオを借りれる身分になり、小さいときからの恐怖への克服では無いが上記のビデオを借りたのだ(「悪魔の毒々モンスター」は借りてない、観る気がしない)。
 いやー、怖かった。「死霊のはらわた」の話はまたどこかで話すとして、テキサスチェーンソーこと「悪魔のいけにえ」は怖かった。

 他の知っているホラー映画と一線を引いていた作品だった。


 内容を簡単に言うと、何の罪も無い若者たちが、人間の顔の皮で作ったマスクを被ったレザーフェイスという異名の大男を筆頭にその家族たちに次々と殺されてしまうという映画。運が悪いね。
 レザーフェイスは「サイコ」のモデルにもなった実在の人物エド・ゲインをモデルにしてる。本物は電気チェンソー振り回して追い駆けて来たりしなかったけど、母親の亡霊に追い込まれながら次々と人殺して、その被害者の皮や器官やなんかでマスクや小物を作ったりしてた。その器用さを他のところに向ければ編み物界の貴公子になれてたかもしれない。

 本作だが、観るものを驚かしたりすることに毛頭を置いた作品では無く、スプラッターな血しぶきがドッピュー、腕がポーン、もしくは「ここで怖い音をドーン」、いきなりパッと表れちゃうよ、とかの安易な恐怖演出の映画なんか足元に及ばない作品だった。

 そのリアルさに一瞬ドキュメントフィルムではと勘違いしそうになったほどだ。演出がリアルなわけとかではなく、余分な物は全て切り捨てて淡々とただ淡々と物語が静かに進んで行くのだ。

 中でも記憶に残りやすいのが、レザーフェイスが初めて登場する場面だ。一軒家を見つけた若者の一人が声をかけながら家の中に入っていく、そこでカメラはアングルを固定し奥に進んでいく若者の背中からのアングルになる。まるでこちらも若者の数歩後ろで様子を伺っているかのようだ。カメラは動かない、下手に若者の脅えている顔などアップで撮らない。
 こちらも恐々、先に行く若者に「どうだい?誰かいる?優しそうなお婆ちゃんとかいないかい?●●(←若者の名前)」と後ろから声を掛けたくなる。
 私の数歩先の若者はドアの向こうの部屋の中に入る、こっち側の視界ではドアの向こう側はドアのフレーム内以外は見えない。どうなっているかは、部屋に先に入っているその若者からの情報のみだ。
 「どうだい?●●!ケンタッキーフライドチキンとか無いかい?」
 そのフレームに突然、人間の皮で作ったマスクをつけた大男が現れ、淡々とハンマーで若者を一撃する。
 思わず「え?なに?今の?」
 倒れた若者は部屋に引きずり込まれ、金属の重い扉がガシャン!と閉まる・・・。
 唐突過ぎて逆に怖い。

 誰?今の?誰か大きい人が急にフレームに入って来て、鈍い音させて若者の頭殴ったよ。なんか怒った大柄の映画スタッフとかじゃないよね?
 ドアの向こうで起きたことが、まるで今日の台風では無いが静かな突風が急に若者一人をさらったみたいだった。

 今の映画なら、もっとチラチラ複線張ってたりして、殺す側の視線を先に映したり、何かいるぞみたいな雰囲気を闇や音や小物なんかで表現している所だが、そんなもの一切無し。
 監督がドキュメント映画上がりの人だったせいか、まさにドキュメントフイルムの如く仕上がった余分な肉省いたホラーでした。

 高校生のときにこれ観てビビッた、ビビッた。小学生のときに観ていたら、軽くトラウマとして脳裏に残るところだった。

 あっ、でもチェーンソーこと電気ノコギリは「13日の金曜日」シリーズのせいで今でもなんか身を切られるようなイメージがある。「悪魔のいけにえ」では無く、別の映画でしっかりトラウマを刷り込まれているようだ。
 あの頃は平気でテレビでゴールデンタイムの映画で「13日の金曜日」シリーズ放送してたしね。




 で今回観たリメイク作品の「テキサスチェーンソー」ですが・・・・・・・・、すっかり最近のホラー映画仕上がりになってた(笑)
 あんましオリジナルの作品とリメイク作品を比べて、「あーだこーだ」と御託や厭味などを言うのは嫌なので、新しいホラー映画として言わしてもらえば充分怖かった。
 ホラー映画って、やはり恐怖のヒーローみたいなのが必要なのか、2004年のレザーフェイスという存在はオリジナルの淡々とした恐怖の力を持つ感じでは無く、やけに必要以上に暴れるわ、カメラで長く映されるわと目立ってしょうがない看板俳優みたいに作られていた。

 オリジナルが観ていて精神的に追い詰められるような怖さを含み、殺されていく人たちの痛みがこっちに伝わって来そうな作品に対して、今回のはなんかエンタ性をふんだんに取り入れたものとなり、殺される側の痛みは画面の中留まりの肉弾戦の最近の映画だった。
 オリジナルにあったもう一つ印象的な不条理な終焉も無く、作り的に綺麗にまとめて出来上がった作品だった。
 でもレザーフェイスという存在以外に観客を怖がらせる要素も断然増えていたしホラー映画としては久しぶりに自分の中でヒットなんじゃないかな。ヒロインの女の子のスタイルも凄く良かった。

 うん、確かに怖かった。怖い映画好きが集まった映画館内で観るとなんだか恐怖が分散して和らぐ気もしたけど、それでも怖かった。やっぱりチェーンソーは人を切る道具のような気がして嫌だ。トラウマは治らない。


 実際にいた犯罪者エド・ゲインを元によくここまで話広げたもんだ。でもエド・ゲインが最後に捌いた金物屋の女主人バーニス・ウォーデンの写真って今でもネットで見れるんだけど、やはりその写真一枚の方がよっぽど怖いや。



 にしても「悪魔のいけにえ2004」とかのタイトルにならなくて良かったね。
 そうなっていたら、映画館での上映も危ぶまれる作品になり下がっているところだった。
 時代からか近年は既に減ってしまったけど、そういった映画配給会社のセンスによる日本独自の邦題って結構好きだ。あえてまた別の英語のタイトルに変えてしまっているものじゃなくて、日本語をフルに使った危うい邦題が好きだ。少しでも売れそうにしてるはずが痛い方向に行ってしまってるのがたくさん国内にはある。
 「おいおい、原題からほど遠いし内容とも合ってないよ。」と騙されたような気分になるものから、ヒット作の恩恵を少しでももらおうと、作品自体はそのヒット作と関係ないのに似たようなタイトル付けたりしたのとか紙一重のセンスが光る。

 少し当方も「テキサスチェーンソー」で考えてみよう・・・

・「悪魔の鉤爪」
・「悪魔の家族」
・「悪魔の皮」
・「人間の皮をかぶった悪魔あらわる!」
・「悪魔の電ノコ」
・「悪魔のキコリ」
・「悪魔の調理実習」
・「悪魔の生体解剖」
・「悪魔のおっちょこちょい」
・「悪魔のあんぽんたん」
・「悪魔の電ノコ推進委員会代表」
・「悪魔のオーバーオール」
・「悪魔の天パー」
・「自然製法の悪魔」
・「天然もの」
・「まるで悪魔」
・「さも悪魔かのように」
・「悪魔なんじゃない?」
・「悪魔そのもの」
・「一見すると悪魔、でも内心も悪魔」
・「天然物の悪魔」
・「ナチュラル精工の悪魔」
・「悪魔たん」
・「悪魔チック」
・「悪魔トリックス」
・「ロード オブ ザ 悪魔」
・「でっかいの」
・「テキサス名物」
・「テキサスといえば・・・」
・「カウボーイだけじゃないよ」
・「テキサス産の電ノコ」
・「恐ろしく耐久性のある電ノコ 新発売」
・「テキサス版なまはげ」
・「テキサス版ちびまる子ちゃん」
・「テキサス版サザエさん」
・「悪魔のカツオ」
・「大草原の小さな家inテキサス」
・「ムーの家族inテキサス」
・「北の家族inテキサス」
・「家族ゲームinテキサス」
・「やりすぎサディステック家族」
・「人間(若者)バスターズ」
・「家族間の問題を外で晴らす!」
・「悪魔と死霊の出会い頭事故」
・「悪魔と死霊のおかしなおかしな大冒険」
・「悪魔くんとメフィストU世」
・「寿限無寿限無 五劫の擦切 海砂利水魚の水行末雲来末風来末 食寝処に住処藪裏柑子 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナー 長久命の悪魔」


 ・・・・・使えないなあ。



 そういえば、「女子高生チェーンソー」って出来の悪さに目を覆いたくなる酷い映画があったよね。別の意味で怖い。







 ●二本目:「ドーン・オブ・ザ・デッド」






 一本目が終わって、皆さん当然かのようにトイレに向かう。限られた時間内に用を足すためか、ここで生まれてから見たことない光景を目にした。
 女子トイレが場外まで列をなしている光景はテーマパークなどではお馴染みだが、男子トイレが場外まで列をなしていたのだ。
 映画館が狭ければトイレも狭い、しかも休憩時間は限られていると来たら、このような事態が起きても全然不思議なものではない。
 しかしまあ珍しいね。

 私も用を足して、軽くなんかつまみたい気分になった。映画館といえば、やはり何かつまみながら観るものかのように既にパブロフ状態で決まっている。一本目の映画は息つくヒマも無かった感じだったが、二本目からは少しリラックスして観たい。
 コーヒーかなと思ったが、あえてアイスクリームにした。それもそこに自販機があったからセブンティーンアイス。

 なんだか頬が熱いのだ、昨日手術した歯茎が熱を持っているのだろう、少し口内を冷やしたい。やはり手術明けにオールナイトでホラー映画観に来るべきじゃなかった。
 後悔しても遅い。ホラー映画より怖い現実が待っているかもしれない。





 さて二本目の映画だが、「ゾンビ」のリメイク作品「ドーン・オブ・ザ・デッド」、直訳すると「死者の夜明け」。

 こりゃまたオリジナルの「ゾンビ」を作ったジョージ・A・ロメロが新興宗教のごとく崇拝されているので、そんな方々から今回の「ドーン〜」は酷評されるだろう。

 まあいいじゃない、オリジナルの「ゾンビ」と大して似せようとして作ってある作品ではないようだし、21世紀の新しいゾンビ映画として捕らえたらいいじゃない。

 内容を簡単に言うと、ある日たくさんの人がゾンビ化(笑)、ゾンビ化の原因は映画内では語られず、まあお決まり通り噛まれたらその人もゾンビ化。で残された人々が巨大ショッピングモールに逃げて立て篭っちゃうのである。取り囲むゾンビの群れ、はちな、はちな、普段ならお客さんが詰め寄せてくれて大盛況って感じだが、みんなゾンビだからこれからどうするよって映画。はしょり過ぎたな。



 いやしかし、小さい頃観た数々のゾンビ作品と違って、この作品はゾンビそのものが怖いことになってる。
 たいていのゾンビ作品に出てくるゾンビはゆーらゆーらとろとろと行動スピードは遅めの動物(?)として撮影されているもんだが、今回のゾンビは速い。
 もの凄いスピードで追いかけて来る。
 早めのスピードで追いかけて来るのはキョンシー以来だ。あれはぴょんぴょんと跳ねて追い駆けてくる。上に跳んでは着地、上に跳んでは着地を繰り返しながら追い駆けてくるキョンシーより、真っ直ぐに全速力向かってくる今回のゾンビはとても速い。あれだけ走らさせられたらゾンビ役の人らも撮影は疲れただろう。誰かアスリートとか混ぜてるんじゃないか、足が本当に速いぞ。

 本当にサバンナかどこかの映像で見る、「狩るものと狩られるもの」の映像かのようだ。
 ゾンビってやはり「食う」の本能むき出しの動物化状態ってことなのね。そこに食べ物があるから全速力で追いかけて食うって感じ。しかも思考能力が停止状態になっているから、群れで大量に真っ直ぐ追いかけて来るのみ。群れで追いかけて来るハイエナだってそれなりの作戦は使ってるぞ。

 何も考えてないって一番怖いかもね。





***「こんな余裕無い」***



 ゾンビは本能のままに動いてる反面、ショッピングモール内の人間同士はやはり人それぞれだから抗争も起きてしまう。ゾンビのようにみんなで仲良く「ぶーら、ぶーら」って訳も行かない。
 ゾンビを反面素材として、人間の醜悪な部分、下劣な部分、自己愛と他人への愛の配分とかがそこに映し出されたりしてる。もちろんなんとか争いを統治して協力しあう場面や他の人のために犠牲になる泣かせるシーンもある。
 「いやぁー、ゾンビだ!怖いよう!」というホラー映画らしい点に観るところもあるけど、残された人間同士のやり取りにもこの映画の面白みの重点があるんじゃないかな。




 でゾンビ映画でいつも思うんだけど、ゾンビって人間が主食なわけだよね。そしてさらには人間をゾンビ仲間にする・・・。でもこれって、おかしくない?
 ゾンビ同士で生殖行為をしてゾンビを増やすのではなく、生きていく糧となるものを食べて仲間にする。
 食料を減らす一方で新たに食料の食べ手を生産している。でも食料自体は生産してない。仲間を増やすことでさらに食料が減っていくことになる。ゾンビが食事を繰り返すことで仲間の数と食料の数は永遠に反比例して行くことになる。結局は人間を全部ゾンビ化させたら食料は尽きることになる。

 もし、野菜を食べないなら。

 ゾンビだって動物の一種だ、動くなりなんなり生態活動をするにはエネルギー源が必要とされる、痩せ細ばった肉の無い足では前に進むことは出来ないはずだ。
 例え死んでいても消費するものは消費する。

 ジョージ・A・ロメロの三部作の三作目こと「死霊のえじき/DAY OF THE DEAD」(1985)ではゾンビには生きていたころの記憶を元に学習能力がある設定になってた。今こそ元農夫のゾンビは畑を耕すべきだ。クワを手に取れ!

 他の動物の肉や農作物を食べないなら食糧難は必須。



***「今年は豊作だがや」***



 しかし劇中では「犬は襲われない。犬は大丈夫だ。」と、群れかうゾンビの合間を伝達係よろしく犬は無事走り抜いた。ゾンビも犬を食料として全然見なしていなかった・・・。
 どこかの委員会や団体の抗議が怖くて、犬が無残にもゾンビに食いちぎられるシーンなんて作れなかったわけではなく、ゾンビの食料は人間のみということだ。

 同じくジョージ・A・ロメロのリメイク作品のトム・サヴィーニ監督版「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世記 」(1990年)では、ゾンビはなんか動物の肉食べてたけど、まあ世の中の規制は増えて行くばかりだ、14年前とは事情が違う。


 食事は人間で確定ということで、で・・・やはり問題あるよね。
 食事なんだから、食べれるところは全部食べちゃうよね。特に彼らは常に飢えている感じだから「あらば全部食う」って感じだし。
 じゃあ骨くらいしか残らないわけだ、なんなら骨もチュッパチャプスのごとく嘗め尽くすかもしれない。

 で?どこに新たなゾンビが生まれる肉体があるの?食べちゃったらゾンビは生まれないよね。普通、食事の対象物は食べられたら胃の中へ無くなるわけだ。最終的には肥料になってしまう。
 どう天地がひっくり返っても、無から有は生まれないし、有を完璧な無にすることは出来ない。
 肥料・・・。

 ●●●ゾンビか?

 「トイレから●●●ゾンビが匂いを放ちながら襲う!」なんてことはないわけで。

 これじゃあ、ある限られた絶対数以上にゾンビは増えないことになる。ゾンビ仲間を増やしたいなら、「口いっぱいの一噛み留まり」か、どんなにお腹が空いていようとも「腕一本」くらいに押さえとかないといけない。
 仲間を増やしたいなら中途半端に噛む程度、つまり味見程度以上に人間を噛んではいけない。

 難儀だ。目の前にごちそう(?)があるのに、あんまし食べちゃ駄目だなんて・・・。

 でも彼ら、そんな制御出来そうにないけどね。

 そうだ、人間側もゾンビの被害を増やしたくないなら一噛みされたら、覚悟を決めて「食料」になるしかないのだ。それが残された人間に迷惑をかけないということに繋がる。
 まるでサバンナでメスライオンに喉元噛まれたガゼルのように諦めの極致を一瞬で悟るしかない。

 言われなくても噛んでいる側はそうするかもしれないが、最後にこう言うんだよ、




 「食べるなら残さず食べてね・・・。」









じゃあ、後編で!



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